昨日か・・、今日か、フジ『“ダ・ヴィンチ・コード”の真実に迫る』(05/3/12放送)と日テレ『ビートたけしの歴史的大発見モナ・リザはもう一枚あった!』というレオナルド・ダ・ヴィンチの番組を一生懸命見たんだけど。

結論から言うと、

日テレは外を通る車が異常にうるさかったので感動して泣いた。

フジはあくびの連打で感動して泣いてしまった。

内容的にはやっぱ日テレの方が良かったと思うけど、フジは最初の30分までは以前見てたんだけど、その時は面白そうだなとおもったんだけど、ちょうどニースのモナリザを8ドルで買ったおっさんところに見に行くところね(笑)。そっから先はちょっとつまんなかったかなと思った。

ニースの絵だけで終わっちゃったでしょ? 日テレの方はまずそれをニセモノと言っておいてもう一つのモナリザを求めて探索をしてたところがニースどまりのフジよりは興味深かったかなと思う。

でもフジの方はモナリザだけでなく“最後の晩餐”とかに重点を入れてたように見えてモナリザは「ダ・ヴィンチ自身を書いた」ものと主張。

一方、日テレ側はそれは「マグダラのマリア」を描いたものだと。主張してたんだけど。

僕の意見としては、ややフジよりなんだけど、それプラス「ダ・ヴィンチの母」を描きたかったんじゃないかと。

母と自分を重ね合わしたかったのかもしれないよ?

日テレの主張は“ちょっと無理があるかも”って腕を組みながら寝そべって「まだまだ」と見てたんだけど。

スイスのモナリザの絵は貴婦人を書いたにしては宝石などを着けていなかったように見えたがどうだろう?

たしかにそれはジョコンダっていう人を書いたかもしれないけど貴婦人の特徴が見られないというてんと、ダヴィンチは貴婦人を依頼されて書くとき、「微笑みがない」とその番組で言っていたがそのスイスのモナリザはちゃんと微笑んでいるようである。

そう聖者のような。

だから「マグダラのマリアなのか?」というとちょっとそれだけじゃ決め手がないように思う。マグダラのマリアの特長とかがわからないから。赤い布を巻いてたらそれを象徴してるというようにね。

むしろそれよりはモナリザを母だと。母は自分の中では聖母マリアだそれと自分は同じだと思って書いたと考えたほうが自然じゃないか?

“最後の晩餐”は日テレもやってたけど、そこでもイエスの左隣に見えるヨハネを“マグダラのマリアだ”と主張してたけど、じゃあヨハネは何処にいるのかっていうのが論点にならない?

僕から見たら、日テレで昨晩放送されてた中にダヴィンチが描いたヨハネの絵をいくつか見せてたけど、その中にも女のような顔がありましたよ。ヨハネ一人を描いてる絵で。ちょっと睨みつけるような絵でね。

最初っからヨハネを女性みたいに書いてたんじゃないの?

そしてイエスとは同等の位置づけにしてあるとか。赤ちゃんのイエスとヨハネの絵ををみてもイエスよりもヨハネを上位に置きたかったなにかがあったのかも。

僕が“最後の晩餐”で一番興味を持ったのはトマスが人差し指を上にあげていた所。ビートたけしも車の中で同じポーズをしてたけど(笑)。

トマスはイエスと双子だと言われるぐらいの男だったと聞く。そのトマスがなぜそのようなポーズ。第一者であるみたいなね。そこに興味があるね。

フジではイエスの子孫がいるとかいろいろあったけど、あれ?たしか日テレは以前、ビートたけしとスマップの稲垣吾郎がダヴヴィンチの特番やってなかった?

そっちの内容はわすれちゃったんだけど、そっちの方が的を得てんじゃないの?

最終的な評価として、フジは番組の最後に終末的な思想をもって(先日も東京大地震やってた)、人間を「愚かな人間どもよ」と言ってるのに対し、日テレは「人間ってすばらしい」と締めくくっているのが両者の思想とか性格とか病気度が見えてくるのかもしれない(笑)。

お前おかしいだろ? みたいなね(笑)。


2005/03/27 14:01:39
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