2005年5月18日(水)にTBS系で放送された『10000000分の1!?世にも不思議な超偶然事件簿!!アレは奇跡?奇跡じゃないってば!!』(18:55〜20:48)
っというのをビデオで録画してて、今日、いま、さっき見たんだけど・・。無性になんか腹んたったなあ・・。
司会の藤井隆ってのをはじめて見たんだけど、それも・・ちょっと・・オレはちょっと遠慮したいタイプだった・・。
さて、内容についても、その番組はいろんな“奇跡”と呼ばれる事件を否定して科学的に解明しようという、よくありがちな番組だったんだけど。番組では“必然”という言葉がよく使われていたが、僕も偶然というのはないと思いたいほうなんですが、司会者は「奇跡はない」と強調し、「必然」と同じものとして捉えてるが、まず、ソコが間違いなんだよね。
僕は「必然」なのが「奇跡なんだ」と説く。
まあ、その番組を僕が検証する。まず・・
<カンガルーが飼い主を助けた事件>
言ってることに否定はしないけれど、なんで風前の灯のものがカンガルーが突然家に走り出したことが分かったのかとか、実験でも強風を突然あおるとか。最初っから強風あおっとけよと思ったし、カンガルーが風前の灯の飼い主を横むけにするところなんか、VTRでは家族を呼んできて、その後で、家族の見ている前で横むけにしたと描写してるけど、それはそんなに腹をすかしてたら家族を呼びにいく前に出来そうなもんだ。
<海に落とした指輪を思わぬ場所から発見>
1987年ノルウェーで、(近くだと思われる)海の上で婚約指輪を落としてしまって、さあ大変。それで15年後、“かつて指輪を失くした海の近く”で釣りをしてた少年が魚の口の中から発見。
それを奇跡じゃないと実験してたんだけど、タラにマークをつけて放し飼いにして同じ海でつれるか、ということだったんだけど、僕から見れば、釣れなかったんで強引に「マークが外れた」と言って違う魚を同じ魚だと言ったかもしれないし、なんで、マークを付けてたひれの部分だけ切れてんのってのもあるよね。魚もマヌケじゃないんだから、噛み切られないでしょう。
何よりも疑問は15年という月日を計算に入れてないということ。その確率(見つかる)ってのは異様に低いかもしれないよ。ま、確かに起こるべくして起こった必然なんだけど、それ自体(15年後に見つかったということ)が奇跡的(必然)であり、何の検証にもなってない。
<5000メートル上空からパラシュートなしで落下しても死ななかった男性>
もうこれについては、木のクッションとか45センチの雪とかの実験云々よりも、その幸運な場所に落ちれたということ自体が奇跡的(必然)なんじゃないの?
場所が場所ならそれこそ、何とか2号みたいにグシャグシャになってるだろうから。
<不思議な再会>
これは老人が50年ぐらい前に婚約してたんだけど親にダメだと言われて別れ離れになったんだけど、1986年に新聞で広告出して、それが新聞編集者の目にとまって、再会させようと。ということで探してたんだけどぜんぜん見つからず、2年後、ある時、同じNY内の電車の中で編集者がその探している女性と隣に居合わせて見つけたという奇跡。
それが「奇跡」じゃない、と。それをタレントのだれだったっけ・・佐藤隆太という人に町をぶらぶらさせて、そこに居合わせた人が、に、知ってるかどうか、知り合いとかがいるのかという実験をしてたんだけど、それも困ったものですな。
腐ってもタレントってのはテレビに出てるから名も知れてる。それと一般人の話を一緒にしている浅はかさとか。一般人で実験しろよ。
それに100分の3、もしくは、100分の2という、ターゲットを知っているという者に居合わせるという確率。違うんだよ。本人と遇うという確率じゃないんだよね。
本題となってる奇跡とは、ターゲットのその本人が編集者と居合わせたという奇跡でしょ?
あべこべに妙な実験をして、無理に「奇跡じゃない」とかほざかせてるって感じで、見ててある意味、不快感を覚えたし、もっと納得いくことを言い、納得いく実験をしてくれよ、と言いたい。
それにやたら、ゲストが“推測”をしてものを喋ってたようで(喋らせてたようで)、ビールを飲んでるだろう飯時に“ゲロ”をしてるシーンを見せたら誰でも「気分良かったのに・・」と思いそうなもんだよな。
それを得意げに“推測”したものの喋り方をしていたようで。しかし、高卒であるオレの指摘を推測できるわけでもなし。番組に取り組んでいる者の心が見えてきそうだ。
この手の番組が視聴率が悪いのは、そのずさんな内容にあるんだろうね。
以上。
2005/05/21 22:07:41
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っというのをビデオで録画してて、今日、いま、さっき見たんだけど・・。無性になんか腹んたったなあ・・。
司会の藤井隆ってのをはじめて見たんだけど、それも・・ちょっと・・オレはちょっと遠慮したいタイプだった・・。
さて、内容についても、その番組はいろんな“奇跡”と呼ばれる事件を否定して科学的に解明しようという、よくありがちな番組だったんだけど。番組では“必然”という言葉がよく使われていたが、僕も偶然というのはないと思いたいほうなんですが、司会者は「奇跡はない」と強調し、「必然」と同じものとして捉えてるが、まず、ソコが間違いなんだよね。
僕は「必然」なのが「奇跡なんだ」と説く。
まあ、その番組を僕が検証する。まず・・
<カンガルーが飼い主を助けた事件>
言ってることに否定はしないけれど、なんで風前の灯のものがカンガルーが突然家に走り出したことが分かったのかとか、実験でも強風を突然あおるとか。最初っから強風あおっとけよと思ったし、カンガルーが風前の灯の飼い主を横むけにするところなんか、VTRでは家族を呼んできて、その後で、家族の見ている前で横むけにしたと描写してるけど、それはそんなに腹をすかしてたら家族を呼びにいく前に出来そうなもんだ。
<海に落とした指輪を思わぬ場所から発見>
1987年ノルウェーで、(近くだと思われる)海の上で婚約指輪を落としてしまって、さあ大変。それで15年後、“かつて指輪を失くした海の近く”で釣りをしてた少年が魚の口の中から発見。
それを奇跡じゃないと実験してたんだけど、タラにマークをつけて放し飼いにして同じ海でつれるか、ということだったんだけど、僕から見れば、釣れなかったんで強引に「マークが外れた」と言って違う魚を同じ魚だと言ったかもしれないし、なんで、マークを付けてたひれの部分だけ切れてんのってのもあるよね。魚もマヌケじゃないんだから、噛み切られないでしょう。
何よりも疑問は15年という月日を計算に入れてないということ。その確率(見つかる)ってのは異様に低いかもしれないよ。ま、確かに起こるべくして起こった必然なんだけど、それ自体(15年後に見つかったということ)が奇跡的(必然)であり、何の検証にもなってない。
<5000メートル上空からパラシュートなしで落下しても死ななかった男性>
もうこれについては、木のクッションとか45センチの雪とかの実験云々よりも、その幸運な場所に落ちれたということ自体が奇跡的(必然)なんじゃないの?
場所が場所ならそれこそ、何とか2号みたいにグシャグシャになってるだろうから。
<不思議な再会>
これは老人が50年ぐらい前に婚約してたんだけど親にダメだと言われて別れ離れになったんだけど、1986年に新聞で広告出して、それが新聞編集者の目にとまって、再会させようと。ということで探してたんだけどぜんぜん見つからず、2年後、ある時、同じNY内の電車の中で編集者がその探している女性と隣に居合わせて見つけたという奇跡。
それが「奇跡」じゃない、と。それをタレントのだれだったっけ・・佐藤隆太という人に町をぶらぶらさせて、そこに居合わせた人が、に、知ってるかどうか、知り合いとかがいるのかという実験をしてたんだけど、それも困ったものですな。
腐ってもタレントってのはテレビに出てるから名も知れてる。それと一般人の話を一緒にしている浅はかさとか。一般人で実験しろよ。
それに100分の3、もしくは、100分の2という、ターゲットを知っているという者に居合わせるという確率。違うんだよ。本人と遇うという確率じゃないんだよね。
本題となってる奇跡とは、ターゲットのその本人が編集者と居合わせたという奇跡でしょ?
あべこべに妙な実験をして、無理に「奇跡じゃない」とかほざかせてるって感じで、見ててある意味、不快感を覚えたし、もっと納得いくことを言い、納得いく実験をしてくれよ、と言いたい。
それにやたら、ゲストが“推測”をしてものを喋ってたようで(喋らせてたようで)、ビールを飲んでるだろう飯時に“ゲロ”をしてるシーンを見せたら誰でも「気分良かったのに・・」と思いそうなもんだよな。
それを得意げに“推測”したものの喋り方をしていたようで。しかし、高卒であるオレの指摘を推測できるわけでもなし。番組に取り組んでいる者の心が見えてきそうだ。
この手の番組が視聴率が悪いのは、そのずさんな内容にあるんだろうね。
以上。
2005/05/21 22:07:41
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