あのう、昨日かな? インフォシークか何かで記事を読んだんですが、その中ででね筑紫さんが一つだけ「いいこと言ってるな」と思えるところがあった。それは・・・


<特集ワイド>がんと闘う筑紫哲也さんに聞く 無常だからこそ感謝
11月27日15時59分配信 毎日新聞

 「テレビは軽率で不完全なメディアだから、家で奥さんと反省会をやるのはやめなさい、とね。僕は毎晩、自己嫌悪でした。原稿ってのは、へたくそでも活字になると、まあ自己満足できるでしょ。でも、テレビは見るたびに自己嫌悪でね。ボディーランゲージが大きなウエートを占めるし。『なんであんなことを言ったのか』というのがストレスになってね」

 「僕がキャスターを始めたころ、朝日新聞では、テレビは下賤(げせん)なメディアで一度さわったら体が腐る、とさえ言われた」。それでも、テレビに移ったのは、新聞に限界を感じていたからだ。「何百万も部数があるから、書いたものが相手に届くと思っていた。でも、ある時気づいたのは、ほとんど何も届かない。特に国際報道は、どんなに大変な思いをしても何も届かない。多くの人に届けるには、テレビが手っ取り早いと気づいたんです」

 キャスターとしてどれだけのことを伝えられたのか。「こうあってほしいと思うことを語ってきたが、その方向に世の中が進んだことはない」という。語るたびに、どんどん自分が少数派になってゆくと感じた。



厳密には筑紫さんが言ったことではないが、「テレビは下賤(げせん)なメディアで一度さわったら体が腐る」。

この一言に尽きるね。

げ‐せん【下賤】
[名・形動]いやしいこと。身分が低いこと。また、そのさま。卑賤。「―な(の)身」

私ははっきり言ってテレビが嫌いである。芸能界とかが嫌いである。

なぜかっていうと、彼らはお高くとまっているから。

なんか、「私たちは人を選ぶの」みたいな、自分たちが一番上の立場でものを見てるというか、人を見ている感じがするじゃないですか。「あんたたちとは(身分が)違うの!」みたいな。

そう、なんか自分たちが「選ばれしもの」のように(おまえらユダヤ人か!)。

下賤のくせに。(ユダヤ人を指して言っている訳ではない。ユダヤ人は偉い)

だから人が手を差し伸べても拒否するんだよね。ほとんどの奴が。下賤民族の。

だから・・・きらい。

で、その筑紫さんがその下賤のテレビ社会になぜ入って行ったのかというと。

「多くの人に届けるには、(新聞より)テレビが手っ取り早いと気づいた」から。

そこが大きな間違いだね。そこが皆思い違いをしているところ。

恐らくテレビに出たい人って、「有名になりたいから」っていう人が多いんじゃないの?

でも、その筑紫さんも言っていますが、テレビ界に入っても。

「こうあってほしいと思うことを語ってきたが、その方向に世の中が進んだことはない」

のだ。

テレビはほんと簡単に人を集められるとか、後世に残る有名人になれるとか、ひどい思い違いをしている方がいると思いますけど、いいですか?

テレビに出てる溢れるばかりの人が、ジーザスやブッダを超える有名人になると思いますか?

ハッキリ言って無理だと思います。

ジーザスやブッダが人類の歴史の中で、10点満点中10点としるされる人だったとしよう。では、芸能人の誰それさんは? っていう話になったら彼は1もないと思いますよ。

ただ、歴史の中では「19XX年。テレビメディアというものが登場した」。そう後世の人が記するだけじゃないかなあ。

ま、皮肉にも、その下賤のメディアが天下を握っているわけですけど。まだ、テレビというものが分かっていない人がね、後を絶たない訳ですね。

自分の名を残そうと思うのならやっぱ、テレビがなかった頃の有名人のようなやり方をしなけりゃ・・・名が残らないのじゃないか。

テレビに出てる奴らに言いたい。

お前がどれほど歴史的に有名な人物だというのか。

15:58 2007/11/28
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